キャンパスリーダーの独り事

「心の報酬」ぞ、如何に
 ――「新資本主義」に問う(2)  No.231

 「心」、この言葉を口にするのを私は今までややためらってきた。我われ人間の窮極に備わるものを、巷ではかなり安っぽく、青臭く云々されていると感じていたからである。そんな中で半年ほどまえ、大勢を前にして不覚にも「心の報酬」なる言葉を発してしまった。ところがこの言葉が、何人かの人たちにとってはそれこそ心に応えたらしいので、これからはためらいを絶っていこうと思っている。

 私の学歴は高卒ということになるのだが、実態は中卒みたいなものであった。恥ずべくもなく“子ども”をいつまでも続けていたからである。戦禍の足跡をまだ至るところに残す70年ほどまえのこと、大学生の学費稼ぎを世話する「学徒援護会」なる公益団体が東京の九段にあった。私はここに学費ならぬ小遣い稼ぎのために出向いた。そこで世話されたのが日本が加盟したばかりのユネスコ、その活動体としての「ユネスコ日本」という民間組織であった。(ユネスコは加盟各国にその活動の民間展開を強く求めていた。)
 ユネスコは今「世界遺産」の認証機関ぐらいに思われているかのようだが、とんでもない、United Nations Education- al,Scientific and Cultural Organi-zation、 WHO、ILOなどと並ぶ国連の15の専門機関の一つである。
 そこから離れて久しい私の記憶をたどれば、当時のユネスコ活動はそれを国際レベルで3分野に跨って展開していた。①文盲根絶のための教育、②貧困撲滅のための経済の活性化、③コミュニケーション促進・強化のための諸施策。世界初のコンピューターのプロトタイプも最初の砂漠の沃野化もユネスコの手によるものだ。
 ユネスコは、国連の一部でありながら恰も国連の存在を批判するかと見紛うばかりに、「有史以来2,000の国際条約があるが、守られたものは一つとして無い」とアピールし、「ユネスコ憲章」の前文に

 
 戦争は「心」に生じるものであるから、人びとの「心」の中に平和の砦を築かなければならない。

と謳っていた。 
 このアピールが画期的であったが故に、当時は世界に冠たる新聞であった『ロンドンタイムズ』から「フウテン会議」などと揶揄されていたのだが、否々たった今も、ロシアによるウクライナ侵攻にそれをまざまざと見ることになってしまったではないか。
 私は7年余にわたってそのユネスコ活動に月月火水木金金と心酔することになる。
 話はさかのぼる私の小学5年生時、3月10日の歴史に残る東京空襲による大惨禍、私の家族は疎開によって救われたが、一人を残して学級友だちの全員が一夜にして行方不明となってしまったのであった。こんな体験があってか「ユネスコ憲章」の前文は若造きわまりなかった私の「心」に色濃く刷り込まれてしまったのだと思う。私が比喩的によく使う言葉におき換えれば、この前文によって私の「心」の働きは“初期設定”されてしまったということになる。

 「組革研」を創設して間もなくのこと、事務局に居並ぶ面々を前にして「給料はおまけだ」と言ったことがあった。すかさず若手の一人から「おまけは多いほどいいです」と返されてしまったのだが、正にそのとおり。もしもこれが公の場であったら私は笑い者にされたに違いない。
 きれい事を言いたいのではない。「報酬=金品」は道理だ。私もとよりもっとお金が欲しい。訴えたいことは「心の報酬」はどうなってしまったのか、それこそが人間にとっては「無上の存在」ではないのか、ということだ。
 金品の報酬には際限がない。十数兆円もの大資産を抱えながら「俺はこの程度で満足するような小さな男ではない」と公衆の面前で豪語する経済人がこの国にもいる。ロシアのプーチン大統領の資産は20兆円、住まいはまるで宮殿、そんな建物を20棟も所有しているそうだ。それでいったい何するの? 私自身も60年ほどまえ、思いがけなく大金(私にとっては)を手にしたことがあった。その額に喜んだのは半年ほど、時とともにあの時なぜもっと……と、満足がいつしか不満に変わっていったのを今でも忘れない。対するに「心の満足」、バスの中でお年寄りや赤ちゃん連れのお母さんに手を貸して喜ばれた時のささいな「心の報酬」、バスから降りてもその余韻はまだ消えない。

 このコラムの(1)でもふれたが、我われ人間の毎日は「消費生活」と「生産生活」の二面で成立している。生産生活は毎日のどれほどを占めているか。休日と消費生活を除く毎日の総てということになる。しかも、子どもと老人を除く現役時代は人生の中枢期だ。その大部分は生産生活にある。
 生産生活の質は我われの人生の質を左右してしまう。それに対する報酬が金品に終わってよいのか。
 企業の中には「心の報酬」は無い、と言ったらリーダーの立場にある人の多くから直ちに反発されるに違いない。その言い分は二つのどちらかであろう。一つは俺(私)はいつも部下の心情・気持ちを尊重しているというもの、もう一つは部下を事あるごとに褒めているというもの。
 何のことはないずばり言ってしまえば、前者の実体は部下に嫌われない努力、後者の実体は部下の心を操作する努力ではないのか。パフォーマンスとしての褒め方のセミナーや「ほめ達」なる資格までが流通しているという。それではまるで人間のペット扱いではないか。それでは「心の報酬」ではなく「心の搾取」になってしまわないか。
 人間を馬鹿にするのもいいかげんにせい。

 「ワークエンゲージメント」という概念がある。仕事・組織への「愛着」とでも言えばよいだろうか。この言葉が今、資本主義に対する見直しの中でにわかに脚光を浴びている。これぞ「心の報酬」の現れではないか。
 ギャラップといえば私も若年の項から知る世界きっての世論調査機関だが、それによる2017年の日本企業従業員の「エンゲージメント」は、世界139か国中のなんと132位。同じく2020年の調査では、12か国中のビリ。「労働生産性」は、OECD加盟38か国中の28位。
 両調査結果は、言わずと知れたことを誰の目にも明らかにしてはいないか。
 生産生活における「心の報酬」は多様だろうが、遣りがい、生きがいなどはその代表的なものだと思う。マズロー言うところの「自己実現」に通じるものだ。それらは外から直に与えられるものではない。生産生活における意力・気力、それら発揮の結果として自分の「心」に自ずと湧いてくるものだ。部下たちがそのように動いていくように外から働きかける、それこそがリーダーによるマネジメントなのだ。
 そのマネジメントには、知・技・業はさして重要ではない。リーダーの仕事と部下に対する思い、そして意識改革、即ち「管理」から脱出して人間として真正面から向き合っていくことである。具体的には拙書にゆずる。
 我われ人間には、管理の下で意力・気力を持ち続けることは不可能にちかい。それなのにだ。企業内のリーダーのマネジメントの100パーセントちかくが、管理になってしまっているのである。人を大事に、人を育てるつもりで、その逆を一生懸命にやっているのである。私はそれを「三逆リーダー」と称して苦言を呈し続けている。「三逆リーダー」の下の部下たちにとっては「心の報酬」は無縁だ。

 仕事をするのは人間である。その人間の意力・気力が主体であって、知識やシステムはその道具だ。ところがである。新資本主義の中軸をなす「人への投資」が意図するものは、分配とリカレント教育、リスキリングだという。そこには「マネジメント=管理」とする伝統概念の変革は微塵も見られない。それでは、時代に即した人間の「材化」、人びとの「道具力」強化にすぎないではないか。
 私は、この国の人びとの多くが「管理」によって、意力・気力という心の働きを失って「ロボット症」に侵され続けていることを50年余にわたってアピールしてきた。このアピールは、前記の「ワークエンゲージメント」と「労働生産性」の国際比較にはっきりと現れているではないか。因って今、新資本主義で言うところの「人への投資」は、「心の報酬」どころか「AIロボット症」づくりに終始することになるであろうことを強くアピールしなければならない。

2022.6.25. 

 藤 田 英 夫 

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