キャンパスリーダーの独り事

「道具力」の再構築に終わってしまわないか
 ――「新資本主義」に問う(1)

 「新資本主義」の名の下に「人的資本」とか「人的資産」などの言葉が急ぐかのように経済界を賑わしている。人件費のコストから投資へのシフトであり、そのための経営施策といえば、今のところはリカレント教育、リスキリングに尽きるようだ。内閣官房には新しい資本主義実現会議が用意され、人間への形に残らない投資を評価する方法論を探っているという。人間中心への経営転換と言ってもよいか。
 今頃になってやっとか!鈍臭いことよ、と私は思わずにはいられない。「事業は人なり」はこの国の歴史的金言ではないか。この私でさえ、50年をゆうに超えて力説し続け、悪戦苦闘してきたことである。
 では、この流れに私は万々歳かとなると、違う。この大課題への発言は今のところ、主にその分野の学者そして証券市場や経済ジャーナリストなど企業外界に多く、企業内界では目立たないのだが、その限りで言えば、私には二つの根幹にかかわる気がかりが目につくからだ。一つは肝心要の人間観、相も変わらず人材という人間に対する「材観」からの発想らしいことである。もう一つは例えば証券市場からの「エンゲージメントスコア」の開示要求など、内界よりも外界の一部からの要請が先立っているらしいことである。
 以下に前者について申す。後者については私の直感に過ぎないので以上に止める。

 「金(資本)、人、物」という。伝統的かつ今なおの生産要素だ。要素故、客体であって主体ではない。主体が作用に及ぶ存在の材である。視点をもう少しずらしてずばり言えば、企業経営の「道具」である。
 「人間力」という言葉が巷に流布している。私が43年前に創唱した言葉だ。当時の世上で冷やかな反応に出会ったことを今でも忘れない。そのうちに総理大臣までが口にするようになった。内閣府には人間力戦略研究会なるものができた。「誇張されたものは欠如を表す」と精神医学者のフロイトは言う。この言葉がこの社会にこれほどに浸透してきたのは、人びとのそれが枯ればんでいるらしき実相を多くの人たちが肌で感じ始めているからではないだろうか。
 私が「人間力」の発想に至ったのは、人間が有する「道具力」を意識したことに端を発している。「道具力」の着想は、企業の中で「人を道具として」いることを見せ付けられる日々の中から自然発生したがごとく意識し出したものである。「人間力」は即ち「道具力」に対する対極概念として発想したのであった。この語はいつの間にか一人歩きをはじめてしまったようだが、私は、主体力、意力、知力の再生産力、精神的欲求力など、人間に固有の力を表したかったのである。
 「人的資本経営」で言うところのリカレント教育、リスキリングは、この「人間力」ではなく「道具力」に見入り、それを再構築しようとしているのではないか。
 「企業を中心に考えるのではなく、個人を主語にして投資を考える。(中略)企業にとっての付加価値ではなく、一人ひとりにとっての付加価値、さらには金銭的付加価値だけでなく、非金銭的な付加価値も重視した人的投資・人的資本を考える――そういう時代が来ている」とは、先日の『日本経済新聞』※1に「人間中心の人的資本投資を」との大見出しの下、経済学者の大学教授が記したものの一部である。堂々とした表現であってこの限りでは大いに賛同するところだ。しかるに、そこに掲げられた唯一のその例「将来海外の美術館巡りをする際により有意義な鑑賞ができるよう、今からその地の歴史や文化を勉強するというのも、将来に生かす立派な人的投資だろう」を見るに及んで、この賛同は一瞬にして消え去ってしまった。彼が言うところの「一人ひとりにとっての付加価値」とは、この例が示す程度のことなのだ。これでは、「人的資本」どころか報酬のおまけみたいなものではないか。
 我われ人間の毎日は、「生産生活」と「消費生活」の二面で成り立っている。ちなみに、生活とは「生存して活動すること」と『広辞苑』にある。この二面の生活によって、我われの人生は実存しているわけだ。「生産生活」とは働くこと、他者の「消費生活」を支えるものだ。「消費生活」とはその反対の働くこと以外の総て、他者の「生産生活」によって支えられるものだ。別言すれば、「生産生活」は他者の役に立つことであり、「消費生活」は他者の役立ちを活用させてもらうことである。食べられるのも夜寝ていられるのも、他者の「生産生活」つまり他者の働きあってのことだ。
 その「生産生活」、それは1日のどれほどを占めているか。休日を別とすれば、毎日の大部分ということになる。1日は24時間、このうち我われ日本人の「消費生活」時間の平均は13.8時間※2だそうだ。それを差し引くと残る時間は10.2時間。このうちのどれほどが「生産生活」にあるか。通勤時間を含めると、多くの人はそのほとんどを「生産生活」に費やしていることになる。しかも、現役時代は人生の中枢期である。その大部分が「生産生活」にあるのだ。
 今再放送されているNHKのテレビ番組『プロジェクトⅩ』は「生産生活」での話である。我われの人生にとっての究極目的であるあのような自己実現を「消費生活」の中で訳なく体現できるであろうか。あのような「生産生活」が有ったのと無かったのでは、あの人たちの「人生の質」はまったくの別ものになってしまうのではないだろうか。「生産生活」の質は人生の質を左右していくのだ。即ち、働くことは「人生そのもの」なのである。
 このような仕事観からすれば、上記の「人間中心の人的資本投資」は、言葉の見映えとは裏腹に、それが期待するものは何ともお粗末にすぎはしないか。
 その種の論調は上記の例に限らない。
 私は、人間が発揮しうる「道具力」をばかにしているのではない。それはあまりにも重要なものだ。だが、人間の一部である材機能に着目してそれに執着し、それを外から再構築しようとする試みは、期待外れに終わるどころか、大局からすれば、逆結果を見ることになりはしないかと言いたいのである。今まさに勃発中の国際事件に語らせれば、勢力圏拡大の思わくが逆にその縮小を余儀無くされつつあるプーチン大統領の轍を踏むことになりかねないということだ。
 「新資本主義」においても「人を道具として」は不変らしい。アインシュタインの言葉※3を借りる。

 真理と知識を探求することは人間性のなかで最も価値あるものの一つです。しかし、私たちは知性(知識?)を神格化しないよう、十分に注意しなければなりません。
 知性(知識?)はもちろん強大な力を持ってはいますが、人格を持っているわけではありません。知性(知識?)は人間を導くことはできず、あくまで人間に仕えるものです。

 「人的資本」「人的資産」の論調の中には、人間の本性に見入り、「人を人として」に視線を注ぐ人たちも散見できる。「『会社の自分』から『自分の中の会社、仕事』へ、(中略)自分の人生に比べたら、たかが会社、人生の目的達成のための舞台に過ぎない」と語る※4のはSOMPOホールディングスグループCHRO執行役専務の原伸一さんである。「仕事というのは、そこで働く人たちが、自らがその主人公となって、目標に向かって、自分を磨き、生きがいを感じていくための舞台だと思う」と、今は故人となったアサヒビール社長の瀬戸雄三さんが私との対談の中で語っておられたのを思い出す。「日本ではよく人を育てるというが、むしろ自分で育つ環境を会社がどう提供するかが重要になっている」と語る※5のは一橋大学CFO教育研究センター長の伊藤邦雄さん。

 「仕事力」と私はよく言う。これも「人間力」についで私が創唱した言葉だ。「生産生活」においてそれ故に発揮されうる「人間力」を指している。外見上のそれには「道具力」も見ることになるが、それは「道具力」に非ずだ。
 私は高校卒業を目のまえにしてその後の7年にわたる若年時代をユネスコ運動に打ち込むこととなった。そんなことから「生涯教育」を提唱したユネスコ教育局長であったポール・ラングランさんをパリの本部に訪ね、二人で半日ほど話し合う機会を得た。彼に私がアピールしたことは、 Educa-tion through  homes, through   scho-ols ,through   works 、青二才だった私が「throu-gh  works」を強調したかったのであった。幼稚な英語を聞かされた彼が、しばし口を閉じて後、That’s  right! と晴れやかに応えてくれたのをうっすらと覚えている。
 私は「生産生活」の場こそが「人間力」が育ちうる至高の場だと確信して止まない。次から次への止めどなく迫りくる問題への挑戦の場だからである。
 上記のSOMPOホールディングスの原さん、アサヒビールの瀬戸さんは、私の「仕事観」をずばりと代弁してくれているかのようだ。このような発想こそが人びとに Well‐beingをもたらすのではないか。
 とは言え今日のこの国では、その実現は容易なことではない。人びとの殆どにその種の「気」がすっかり萎えてしまっているらしいからである。「ワーク・ライフ・バランス」だの「働き方改革」だのの実態はその後押しをしてしまっているのではないか。そんな中でリカレント教育だのリスキリングだのにいくら投資したところで、何ともなることではない。
 「人的資本経営」のスタートは、「人間観」と「仕事観」を見詰め直すことにあるのではないか。
 「旧資本主義」の歴史は絶え間ない「機械の人間機能化」でもあった。「新資本主義」の下では人間力を忘れかけてどっち付かずの「人間のAI機能化」を見ることにならねばよいが……。

 「人を人として」いくか「人を道具として」いくか、即ち、人びとの「人間力」を引き出していくか「道具力」を引き出していくかは、いつに「人・仕事関係」に存在しているのである。
 「人・仕事関係」とは、人びとの仕事への向き合いかた、係わりかたを指している。これまた私が創唱した概念を表さんとする言葉だが、あまりにもおかしなことに、この実態は何処にもあまねく存在しているのに、この概念はもちろん、その意識さえも無いのだ。だから、仕事というと職種、つまりその種類だけに終ってしまうのである。
 その「人・仕事関係」を支配していくものが、人と組織に対する「マネジメント」である。
 海外の実態には疎いので略すが、少なくともこの国では、「人を道具として」の人間観によって、マネジメントが「管理」になってしまい、我知らず長きにわたって企業の中でがっちりと根を下してきたのである。
 「管理」とは、金や物、ロボットなどの材、つまり経営の道具を扱う原理である。それらは管理すればするほどよい。人びとが発揮しうる「道具力」に執着するあまり、それを、人間に当てはめてしまったのであろう。
 「新資本主義」では、「人を道具として」即ち、人間に対する材観の呪縛を後にすることはできないであろうか。このコラムの冒頭に記した私の悪戦苦闘とは、その闘いを指している。
 「人を人として」のマネジメントの具現化については、拙著※6をお目通しいただきたい。

2022.6.1. 

 藤 田 英 夫 

※1 『人間中心の人的資本投資を』 日本経済新聞。22.3.15.
※2 総務省統計局『平成28年社会生活基本調査』から
※3 『アインシュタイン 科学者たちの罪と勇気』 NHK「映像の世紀バタフラ
   イエフェクト」。22.4.11.
※4 『実践と開示の両輪で人的資本経営を実現』 日本経済新聞。22.4.27.
※5 『豊かさの追求 産官学が協働』 日本経済新聞。22.4.25.
※6 『人を人として』 PHP研究所。98.11.3.
  『人間力をフリーズさせているものの正体』 シンポジオン。15.4.21.

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