キャンパスリーダーの独り事

非主体化に “初期設定” されている  No.211

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  人間に対する教育的行為は、対象たるその人の 「知行」を“初期設定”していくプロセスである。
  今日の多くの人びとに際立つ非主体性、他人事意識、依存症などに代表されるような知行現象は、当世の “初期設定” を色濃く映し出しているのだと思う。 即ち、総ては 「本人が求めるよりも前の先回りによって、教えられ、説明され、指示され、世話をやかれて動く」という知行のプログラムである。
  「組革研」は3年後に創立50周年を迎える。ここに集う人びとの平均年令は41、2、3歳が通例だ。ということは、この年令の人たちの知行を50年間ちかくにわたって“定点観測”することができたということである。私がここで実感しているものの多大なものが、非主体的な知行現象の留めどない進行である。
  この種に“初期設定”されていると、外からいくら知識を教えられても、どんなに主体性を求められても、ちょっとやそっとの体験をしたところで、当然のことながらそれらを、設定されている枠内でしか受け止めることができない。

  人びとにそんな “初期設定” を施し続けているのが今日のこの社会だ。 家庭内 → 学校内 → 企業内で。 期待し、意図するところとは逆行していることにどこまでも気づくことなく。
  まずは家庭内で。
  戦後の家庭の歩みの中軸は、少子化と家庭内労働からの解放であった。 そこから生じる余力のほとんどは、少子の知識教育に向けられてきた。 そこに支配的な影響をもたらせてきたのが、企業内の文化、とりわけ人に対するマネジメントである。 もちろんそれは、企業の意図によるものではなくして無意に生じた社会現象ではある。
  親の90パーセントは、企業をはじめとする組織に属する人たちだ。 残念ながら、ほとんどの組織内のマネジメントは 「管理」である。 それによって生み出された体質が、それと意識することなく、家庭内に丸ごと持ち込まれているのだ。
  「消しゴム片手に子どもの横に座り、宿題の書き取りを見詰める。 子どもがちょっと書き違えると、だめねぇの言葉とともに、母親の手がさっと伸びて、誤字を瞬く間に消し去ってしまう。 誤りの中に正解に近づく手がかりがあると思うのだが、そんなことにはお構いなし、とにかく教科書と合致さえすればOK」。 こんな母親がいるそうだ。
  そして学校内で。
  学校のスポンサーは、とどの詰り親である。 したがって、家庭内の “初期設定” を増幅していく場とならざるをえない。
  いい大学の序列は歴然とし、いい大学 ← いい高校 ← いい中学 ← いい小学校 ← いい幼稚園という、答合せを柱とする構図が揺るぎない。 駆り立てられて馬車馬のようにその上をひた走らされる子どもたちの全員が目指すものはたった一つ、18歳の 「ある日」に限られる。 そこでどんな成績の順位をとれるかで、彼、彼女らの将来は大きく左右される。
  「お前ら(その日への)受験ロボットなんだ。 ただ教えられた通り覚えればいい。 どうして?と考えるヒマがあったら、単語の一つでも覚えろ」とは、ある子どもが塾で言われた話である。
  その総ては、受け側のニーズではなく、与え側のニーズで構築されている。 小中学校はこれを義務教育としている。
  それを極めるのが企業内。
  そこは家庭内、学校内での“初期設定”を固定化させていくかのような場となっている。
  新入社員教育などはそれそのものだ。 雲泥の差ほど優れたやりかたが他にあるのに。 さらに極め付きは、日常のマネジメントである。
  「部下の隣に椅子を移動し、パソコン画面を指差しながら教える。 時にはマウスを奪ってやってみせた。 部下はそれを真似るだけ」。 このような管理者もいる。
  そして企業は、それがもたらす結果に困りぬき、生産性に喘いでいる。
  “初期設定” の増幅化と固定化の悪循環。

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  企業内は、仕事の中は、答の無いことだらけだ。 この場こそが、それまでの“初期設定”を革新し、再 “設定” していくことができる場ではないか。
  「組革研」の使命も、その動機付けを担うところにある。

  教えることは不要だなどと、戯言を吐いているのではない。 とんでもない。 知識はあまりにも大事だ。 だからこそそれを、その言葉だけを頭に詰め込むのではなく、本人のものに “肉体化” せねばならない、と言っているのだ。
  それにはどうするか。 与えるより先に、本人に求めさせねばならない。 何にも増して、本人にその 「ニーズ」を生じさせることが先だ。 ニーズの無いところに何をやっても無駄なことなど、企業人なら百も承知であろう。
  具体的にはどうするか。 詳しくは別著にゆずるが、ここにキーワードを略言しておきたい。

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  人間にとって自分が 「困る」ということは、とても嫌なことだが、無二とでも言うべき大事なものだ。「自分が困る」ということは 「自分の問題になる」ということである。 我われ人間の知行にとって、これに勝るものが他にあろうか。
  だからといって、作意して人を困らすのではない。 そんなことはとんでもない。 幸いにもと言うべきか都合よくと言うべきか、企業の中は困ることだらけだ。 その困る実態を、たえず部下の鼻先に突き付けておくことである。 説教のような観念的なものではなく、ありありと。 在来の “初期設定”では対応できそうにない状況に遭遇させることである。
  追い追いと、ときに激しく。
  私が脱「三逆リーダー」※1と“化粧はがし”※2を力説する所以である。 それでは納期に間に合わない等の声が聞こえてくるが、それは逆だ。

  この社会に横行する 「人を大事に」の人間観は、人をして 「困らせない」ことになっている。 それが人間らしいということになっている。 何と薄っぺらな、さもしい人間観であろうか。 “人間音痴”とでも言いたくなってくる。
  この人間観こそが、人びとの 「仕事力」を抑え込み、人びとの 「人生」を貧しくつまらないものにしていることに、とんと気づくことなく、である。
  ※1 筆者著『脱「三逆リーダー」』(2018年ダイヤモンド社)
  ※2 筆者著『人を人として』(1998年PHP研究所)

18.10.9.

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