私が 「状況が人を動かす」 ことに気づいたのは、約27年前の拙著の執筆途上であった。 気づいてみれば、これはあまりにも当りまえのことであって、今までどうしてこんなことが意識化できなかったのかと、我ながら呆れたものであった。
問題、つまり困った状況にぶつかり、それを自分で感じて、初めて心や頭が動き出すのであって、それが無ければ精神活動はまあ休んだまま、人間力の種子は眠ったままというのは、私だけではないと思う。 それが人間の自然の姿ではなかろうか。
我われの体は、食べものを糧として活動し、成長していく。 我われの精神は、問題を糧として活動し、成長していく。
考えてみれば、状況によって動くのは人間に限らない。 動物だろうが植物だろうが、およそ生あるものの全てがそうではないか。 それぞれに作用する状況の内容が異なるだけなのであろう。
管理というマネジメントは、問題だらけの生々しい状況を一人ひとり感じられないままにしておきながら人びとに自主を求めているのである。
問題のない人生とか生活はないであろう。 問題のない企業なんてあろうはずがない。 生きていくということも仕事をしていくということも、問題を起こしていくということだからである。 ということは、我われの精神活動の糧は有り余っているということになる。とりわけ仕事においてはそれだらけであろう。
だとすると、人びとの人間力は発揮されているはずだ。 どうか。 ノー。 なぜか?
第一に、問題が消され、隠されている、ということがある。 たとえそうされていなくとも第二に、我われは、状況をよく見てはいない、と言うよりも、よく見ることがなかなかできない、ということがある。
まず第一について。 我われ人間は、問題を消そうとする、隠そうとする習性をもっているということ、 「臭い物には蓋」を してしまうということである。
消そうとする習性は、出てきた問題を対症療法的に解決していこうとすることの連続、いわゆる 「もぐらたたき」 に象徴的だ。 現れた問題は氷山の一角、その下にはそのようなものを生み出す体質ががっちりと根を下ろしていることを承知しているのに、である。
問題は無くありたい。 しかし起きてしまったことは、せっかく姿を現してくれた問題なのだ。 人びとの動き、仕事の改革や改善のための願ってもない 「宝」 なのである。 にもかかわらず、その宝を消すことに一生懸命になってしまうわけだ。
隠そうとする習性、と言っても、騙そうとかごまかそうという意図によるものではない。 ここで言うそれは、いつの間にか、隠されているのと同じになっている、という類のものである。
部下からの報告、上長への報告の中身はどうなっているであろう。 ミーティングでの話の内容はどうであろう。 まずいことは少なく、うまくいっていることが多いのではなかろうか。 少しでも挑戦的に仕事をやっているのなら、儘ならぬことのほうが多いと思われるのだが。
部下の仕事の先端に足を運んだときはどうであろう。 うまいことにそこで初めて出会うことはなく、まずいことだらけなのではなかろうか。 うまいことは先に漏らさず聞かされており、まずいことは聞かされていなかったからだ。
こうなる理由は、上部や周囲に対して、なるべく受け入れられやすいように、当り障りのないようにしなければという意識が自動的に働いて、我われはつい、まずいことは隠してしまうからではなかろうか。 あるいは互いに、自分にかかわって問題を見たり、聞いたり、抱えこむのはいやだから、なるべく見ない、聞かない、かかわらないで済むように、無意識のうちに、いつの間にかそうしているということだと思う。
自ずとそうなるように、人間はできているのであろう。 人間の癖、無くて七癖のうちの一つかもしれない。 そう、人間は噓をつく動物なのだ。 挨拶やお上手を入れると、我われは一日に何回もの噓をついているという。 隠すのもその一部か。
第二の、我われは状況をよく見ていない、見ることがなかなかできないも、我われの習性であるようだ。 「見ることも聴くことも、考えることと同じように、難しい、努力を要する仕事なのです」 と言う文芸評論家の故・小林秀雄さんの言が同感にたえない。
まずは、自分が知っている状況の一部をもってその全体を察し、いつの間にか、 「わかっている」 と思ってしまうという習性である。 こうなるともう、 「見れども見えず」 だ。 インテリを自任する人たちによく見られる症状だ。
それに、自分の都合で状況を見てしまう習性である。 「人間は本能的に自分の持っているイメージに合わせて対象を見ようとする。 つまり、自分のイメージに合わないものごとを、意識的に、あるいは無意識のうちに無視したり、切り捨てたりする」 と、かつて朝日新聞の記者であった故・森本哲郎さんが言っているが、これまた同感にたえない。
人間のこれらの習性によって、問題は厳然と存在しているのに、まずいと思われることは影を潜め、うまくいっていることだけが目立つように、見てくれのいいように、状況はすっかりと 「化粧」、それもかなり厚化粧されてしまっている、ということである。
組織の中は 「化粧ごっこ」 だ。 だめ組織ほど厚化粧であることは、例を待つまでもない。
これらの人間の習性を助長しているのが、管理の発想、そして問題を起こさないことを是としてきた我われの文化である。
それらの意図せざる結果として、人間力の発揮を求められない、 「やる気」 が 「やらないで済ます気」 に負けていくような、 “贋” 状況がでっち上げられているということである。
( 『人を人として』 第六章一より抜粋、少し加筆)
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