前週のこのコラムに記した部下への「無用」の口出し手出しは、次の四つの形で現れる。「教える」「説明する」「指示する」「世話をやく」である。
これらが、人びとの「人間力」にいかなる否定的なものをもたらすか。
「教える」こと、答を与えるについて。
これには、四つの否定的な作用がある。他から教えられるのと自分で発見するのでは、人びとに反対の作用をもたらすのだ。
一つは、人びとから「発見」チャンスとそれへの思考プロセスを取りあげることになってしまうことである。教えられてしまったことは永久に発見できないし、それについて考えることもできにくくなるからだ。
一つは、「教えることは強制することとほとんど同じだ」ということである。これは山陽特殊製鋼の社長であった日渡惺朗さんの言葉だが、教えられたほうは、その答しか知らないのだから、そう思うより他にないわけだ。
一つは、答待ち人間化へのトレーニングになってしまうことである。
一つは、教えるほうのニーズによって教えられたものは、人びとの中で「知識抗体」と化してしまうことである。
「説明」するについて。
「教える」と同類項にあり、したがってそれによる否定的なものは教えると同じだが、二つほどつけ加えねばならない。
一つは、そのことを自分で「感じる」チャンスを取りあげることになってしまうことである。説明されて知ってしまったことを改めて自分で感じることはできにくいからだ。現実に出会っても、それに対する説明されたものを持っていると、そこから感じるものが限られてしまうのである。
大新聞からの引用*である。
世界の各都市で美術館巡りをしていて、妙なことに気づき
ました。名作と言われる芸術作品を見ても、いっこうに感動
しないことです。(中略)これが本物なのかという、なにか
感動とは程遠い気持ちしかわいてきませんでした。それは
「知り過ぎている」からではないかということです。これらの
名作は学校の教科書にも載っていたし、(後略)
私もこれとまさしく同じ体験をいく度もくり返し、そのつど後味の悪さを残している。人間の心は、自分で感じたもので動く。他から聞かされた言葉はその妨げでしかない。
一つは、説明によって人びとに伝わるものは、その一部でしかないことである。人びとの心に染み入るものは、言葉にはなりにくい「何か」であることのほうが多い。それなのに、説明による一部がそれよりも大事なものを覆い隠してしまうのである。
「指示」するについて。
指示するとは、一言にして斬り捨てれば、人びとから主体性を奪うことである。指示によって人びとを動かすことが、指示待ちを量産しているのだ。
指示待ちはけっして人性ではない。作られたものである。幼児の動きを見れば一目瞭然だ。彼、彼女らが、誰かの指示を待っているだろうか。次から次へと自分で動いて親のほうが振り回されるではないか。それが幼稚園に通い出すと、少しずつだが様子が変わってくる。そして成人式を迎える頃には立派な指示待ちとなっている。
上長から指示されると、部下は動かざるをえないから動く。この場合、ことの主体は部下にはなく、したがって彼から出てくる力は「道具力」であり、動く範囲はその他力が作用するところまでに限られる。
これをくり返していくとどうなるか。この前も指示されて動いたのだから今度も指示によって動く、ということになる。つまり、指示されるまで待つことになる。そこで上長はまた指示する。上長も部下も、このような悪循環にはまっていく。この悪循環が定着し、「人間力」の跡形もなく体質化してしまったのが指示待ちである。
だからといって、急に指示を止めたらどうなるか。止めただけでは放任という結果を来すだけに終わる。指示待ちで入社してくる新人またしかり。
「世話をやく」について。
二つの「人間力」への否定的な作用がある。
一つは、人びとの自立の邪魔をし、「やってもらう病」を生み出すほうへと作用することである。
世話とは、その人自身ではできないことに助力することだ。ところがこの社会では、その人自身ががんばればできることに力を貸してしまう。人びとへの過保護、過干渉そのものだ。
しかもとんでもないことに、それを親切だと思い込んでいる人がほとんどのようだ。自己満足もほどほどにせいと言いたくなってくる。
私の身内の主婦のひと言にいたく同感したのを思い出す。「ヘルパーの最大事はいかにヘルプしないかだ」と言うのである。介護ヘルパーの資格をとるための講座で教わった話しだそうだ。
ヘルパーの使命は、その対象がたとえ一寸でも自立の方へと向かうようにすることにある。少なくとも現状以上の介護を要しないようにすることだ。リハビリテーションもそのためだ。ところがヘルプがその逆、その妨げの作用をもたらせてしまうことになる。ヘルプされればされるほど、要介護者にとっては楽だ。ヘルプするほうも、どこまでやればよいかなど煩わしいことを考える必要もない。こうして、ヘルプの需給バランスが成立してしまうのである。ここに、ますますの要ヘルプという悪循環が生じてくる。
厚労省がよくぞここに気づいたものだと、これには拍手を送りたい。
世話をやくことが主体性の邪魔をする程度は、子どもよりも大人に対する場合のほうが大きいと思う。子どもの場合はまだ「人間力」が活性しているので、過保護、過干渉に対しては抵抗する。大人ともなると、ずるさも手伝ってか、これ幸いに受け容れて楽なほうへと流れていく。組革研では世話やきリーダーを「幼稚園の先生」と呼んでいさめているのだが、このような企業人があとを絶たない。
世話をやくとは「すすんで他人の為に尽力する」ことと辞書にはあり、なるほどそう見えなくもないし、本人もその気分かもしれない。ところがこの人たちをよく見ていると、真意のところではこれが逆転しているのが見えてくる。帰するところ自分満足のためであって、自分が好かれたいか、あるいは、人びとを自分が是と思うように動かそうとしているのだと思えてくる。
*朝日新聞・夕刊(1995.10.6.)
(『人間力』第四章四より抜粋、少し加筆)
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