「管理」と「自由」は裏腹でありながら、両者が人びとにもたらすものを一にしている。なぜか。
いずれもが、人間の実相を在るがままに捉えていないからだと思う。片やその材に着眼してそれに囚われ、片や理想化してしまった絵空事のような人間像をイメージしてそれに取り憑かれているからだ。
「管理」もだめ、「自由」もだめ。そこを突破すべく生まれたのが、組革研の44年にわたる苦闘の歴史の中から発見され、開発されてきた「リード」というマネジメントである。
マネジメントの核心は、その対象たる人びとに作用する力の中身にある。人びとの「人間力」が引き出されるのは、いかなる外からの力の作用によってか─―。人びとが示す動きの現象の中には、人びとの心が働くときの人性の法則が潜んでいる。企業の場で、組革研の場で発見されたその法則に拠るマネジメントが「リード」なのである。既存の学説の類とは無縁のものだ。
それ故に、組革研の関係者を別とすれば、全く知られていないマネジメントである。そこで、早合点を懸念して三つのことを記しておきたい。
一つは、外来語の「リード」とは全く別だということ。
一つは、「リーダーシップ」と言われているものとは全く別だということ。リーダーシップとは、きわめて属人的なものであって、その人の能力と経験則から生み出されたアーツであるようだ。よく「OO氏のリーダーシップ」なるものを見かける。なるほどと感心はするが、それを模して我がものにするのは至難の業となる。その人あってのものだからである。
「リード」は、さきに記したように「サイエンス」に拠るものである。したがって、その法則性さえ自分のものにすれば、誰にでも利することができやすい。
一つは、「自主OOOO」とは全く別だということ。それらは管理のバリエーションにすぎない。
本当の「自主」には、管理とは全く異なる発想による外からの力の作用を要するのであって、それこそが「リード」なのである。
「リード」も、人びとに対しての他力の作用を重視することにおいては管理と同じである。トップダウンはいずれにおいても、大事どころか不可欠だ。両者が異なるのは、その量や大きさではない。人びとに対する人間観とそれに基づく他力の中身が、正反対なのである。
求められ、発揮する必要に迫られるという外からの力の作用なくしては、人びとの持って生まれた「人間力」の種子は眠ったまま、やがては枯ればんでいく。管理から解放されただけでは、けっきょくは“消費的”欲求にやられてしまう。主体性ひとつをとっても、人びとは、自由を与えられればそうなるのではない。
「リード」は、けっして難しいものではない。人性の自然に順応するシンプルなものであって、仕事観と人間観さえ意識変革できれば、誰にでもできる。
(『人間力』第五章四より抜粋、少し加筆)
只今、サイトの更新を一時停止しております。
改めて更新を再開する予定ですので、少々お待ち下さいませ。
どうぞ宜しくお願い致します。
対談 あなたの会社はなぜ『メンタル不調』者を量産してるの
著者:藤田英夫・𠮷野 聡 発行:シンポジオン 発売:三省堂書店/創英社
脱「三逆リーダー」
藤田 英夫 (著) 発行:ダイヤモンド社 発売:ダイヤモンド社
「個全システム」によるミーティング革新
藤田 英夫 (著) 発行:ダイヤモンド社 発売:ダイヤモンド社
不感症体質に挑む「人間力」全員経営
藤田 英夫 (編) 発行:シンポジオン 発売:創英社/三省堂書店
経営の創造
藤田 英夫 (編) 発行:シンポジオン 発売:創英社/三省堂書店
第3の組織論
小林 茂 (著) 発行:シンポジオン 発売:創英社/三省堂書店
人間力をフリーズさせているものの正体
藤田 英夫 (著) 発行:シンポジオン 発売:創英社/三省堂書店
人間力―そこにどう火を点けるか
藤田 英夫 (著) NTT出版
人を人として―指示待ち人間を目覚めさせるもの
藤田 英夫 (著) PHP研究所
「状況」が人を動かす―管理からリードへ
藤田 英夫 (著) 毎日新聞社
Copyright ©2018 MANAGEMENT CENTER Inc. All Right Reserved.