下記は私がよく示す図式である。すでに14か国語になっていると聞く。
Aは、伸ばすことが可能なようだが急激に変えられるものではなく、D N Aの支配するところ大であろう。点線で囲んだBとC、ここにこそ人びとの成長余地の大なるものが潜んでいる。Dは、A B Cさえまともであれば、いつでも、いくらでも手に入れることができる。
A B C が人間の内なるものであるのに対して、Dはその外なるものである。即ちDは人間にとっての道具なのだ。ところが、この図式にクレームをつける経営者がいるのである。「なぜ知識や手法を軽視するのか、なんでそこだけが×ではなくて+なのか」と。
この社会での手法信奉には呆れるばかりだ。あらゆる問題に関して答が存在していると思われているらしいのと等しく、総てのことに対してそれ向きの手法があり、しかもそれらは、自分で考え出すものではなく、どこかに用意されているものだと思い込んでいるらしいのである。
企業の中で長きにわたって活用されている手法は、いったいどれほどあるだろうか。その多くに、役立たないという烙印が押されているに違いない。役立つ役立たないは、道具の側にではなく、それを使う主の側の人間に存在しているのであるのに。
手法なんかどうでもよいと言っているのではない。何をやるにも、それは不可欠である。したがって、優れた手法を求めるのは当然だ。画家にとって表現技法の探求を欠かすことができないのと同じだ。しかしそれは、どこまでも道具であって、主あってのものである。画家の精神性の高さが、絵の生命となり、それが人びとに感動をもたらす。表現技法ではない。
手法信奉だということは、この関係を逆転させてしまっているということである。
手法が独り歩きして、人間がそれに振り回されている場面をよく見る。人と組織のマネジメントにおいてもその傾向が強いようだ。人びとを用意されている答のとおり動かそうとする手法である。多くの企業で行われている管理者教育と言われるものの中心はこれではないか。中には、人間の取扱説明書がごときものまであるではないか。
それがまた、型どおり行われようとするからたまったものではない。マネジメントをするのではなく、その手法をやってしまうことになる。
現実をよく見てみれば、手法によって何かを成しえているのではないことは、すぐにわかるはずだ。もし手法でそうなるのなら、誰がやっても、何時やっても同じようにいくはずだ。同じやりかたをしても、ある人がやるとうまくいき、ある人がやるとうまくいかないということがある。同じ人が同じにやっても、うまくいく時とうまくいかない時がある。やりかたは正反対でありながら、共にうまくいっている例もある。
(『人間力』第2章2より抜粋、少し加筆)
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